福島原発事故から 2021 年で 10 年を数える。そして、私が琉球大学に席を置く最後の年となる(博士研究員)。
在籍する大瀧研究室は、原発事故後 2 ヶ月からフクシマプロジェクトを立ち上げ、
2012 年 8 月に発表の論文 で世界的に知られるようになる。
原発事故がもたらす生物学的影響について、ヤマトシジミ(鱗翅目シジミチョウ科)を用いての研究である。
私がフクシマプロジェクトに参加して約 6 年。
何千匹を飼育しても見飽きることはない。
英語名(pale grass blue butterfly)にふさわしく、見え隠れする翅表の淡青色に目を奪われる。
本作品では、大瀧研究室で過ごす最後の日々を、2020 年 3 月 11 日から 2021 年 3 月 11 日まで日記形式で投稿する。
プロジェクトの発足から現在までご支援いただく全国の方々に、
研究の志を僅かでもお伝えし、原発事故から 10 年目を共に迎えられるとしたら嬉しい。
福島原発事故から 2021 年で 10 年を数える。そして、私が琉球大学に席を置く最後の年となる(博士研究員)。
在籍する大瀧研究室は、原発事故後 2 ヶ月からフクシマプロジェクトを立ち上げ、
2012 年 8 月に発表の論文 で世界的に知られるようになる。
原発事故がもたらす生物学的影響について、ヤマトシジミ(鱗翅目シジミチョウ科)を用いての研究である。
私がフクシマプロジェクトに参加して約 6 年。
何千匹を飼育しても見飽きることはない。
英語名(pale grass blue butterfly)にふさわしく、見え隠れする翅表の淡青色に目を奪われる。
本作品では、大瀧研究室で過ごす最後の日々を、2020 年 3 月 11 日から 2021 年 3 月 11 日まで日記形式で投稿する。
プロジェクトの発足から現在までご支援いただく全国の方々に、
研究の志を僅かでもお伝えし、原発事故から 10 年目を共に迎えられるとしたら嬉しい。
福島原発事故から 2021 年で 10 年を数える。そして、私が琉球大学に席を置く最後の年となる(博士研究員)。
在籍する大瀧研究室は、原発事故後 2 ヶ月からフクシマプロジェクトを立ち上げ、
2012 年 8 月に発表の論文 で世界的に知られるようになる。
原発事故がもたらす生物学的影響について、ヤマトシジミ(鱗翅目シジミチョウ科)を用いての研究である。
私がフクシマプロジェクトに参加して約 6 年。
何千匹を飼育しても見飽きることはない。
英語名(pale grass blue butterfly)にふさわしく、見え隠れする翅表の淡青色に目を奪われる。
本作品では、大瀧研究室で過ごす最後の日々を、2020 年 3 月 11 日から 2021 年 3 月 11 日まで日記形式で投稿する。
プロジェクトの発足から現在までご支援いただく全国の方々に、
研究の志を僅かでもお伝えし、原発事故から 10 年目を共に迎えられるとしたら嬉しい。
FUKUSHIMA
FUKUSHIMA
FUKUSHIMA
BY YOUR SIDE
(2021, 1 image)
Concept
沖縄戦から 30 余年後の 1978 年、沖縄の特別養護老人ホームを訪れた真尾悦子氏は、後年の著書の中で、
ホームの 2 階のガラス戸から空を仰ぎ、米軍機(トンボ)を偵察する老人の話を書いている。*1
腰を引きひどく怯えていたという。「アレ、またやってるよ」そう他の入所者から一瞥され、
背中を震わせながら雲の隙間を伺うこのおじいさんは、どんな景色を見ていたのだろう?
現在、当時の建物は取り壊され、ガラス戸が位置したであろう場所には土が盛られ、雑草が茂っている。
ちょうど 2 階建ての高さにあつらえられたかのようなその盛り土によじ登ると、大きく空がひらける。
耳を澄ますと、海の向こうの音まで聞こえそうな気がする。
激戦地として知られる前田高地(ハクソー・リッジ)が見える。
ゆっくりとシャッターを切る。
In 1978, more than 30 years after the Battle of Okinawa,
Etsuko Mashio visited a special nursing home in Okinawa, and later, she wrote a story about an old man
who looked up at the sky through a glass door on the second floor to scout for U.S. military aircraft called “dragonfly” during the battle. *1
He was said to be hunched over and terrified.
Another resident glanced at him and said “Look, he’s doing it again”
What kind of view was he looking at behind a gap in the clouds shaking his back.
Now, the original building was demolished, and where the glass door would have been located is covered with soil and overgrown with weeds.
Climbing up the heap of soil, which seems to be made to the height of a two-story building, a big sky opens.
When you listen carefully, you feel like you can catch the sound of the other side of the sea.
Maeda Highlands (“Hacksaw Ridge”) known as a fierce battlefield is seen.
Release the shutter slowly.
Hiroshi Hosaka describes the role of the postwar generation as follows:
“To accept the silence of the survivors and to cultivate the ability to feel and sense the compassion (empathy/ sympathy) of even a faint groan” *2
The sky that the old man looked up at is still there today.
*1:真尾悦子, いくさ世を生きて 沖縄戦の女たち, 筑摩書房, 1981, pp.16-17.
*2:石原昌家・大城将保・保坂廣志・松永勝利, 争点・沖縄戦の記憶, 社会評論社, 2002, p.348.
保坂廣志氏は、戦後世代の役割を次のように述べている。
「生存者の沈黙を受け止め、かすかなうめきさえもコンパッション(共感・共苦)を持ち、それを感受できる能力を養うことである」*2
あのおじいさんが見上げた空は、今日もそこにある。
私有地のため許可を得て撮影、公開しています。
Photographed and published with permission because it is private property.